2010.07.31

プロミュージシャンの思い出が甦った。

このオーケストラは実にすばらしい経験をたくさんさせてくれた。
とてつもなくデカいキャバレーなので、力一杯楽器を吹き鳴らすことが出来たんだけど、
そこには演奏を楽しみながら、酒を飲む、会話を楽しむ、ダンスをする、
そんなのが普通にあったみたいだな、
だからミュージシャンへの声援もあったしチップっていうのも
しょっちゅう頂いたのを覚えている。

バンドのグレードは僕の記憶の中ではAクラスの中、かな。
数多あった三流のバンドに入らないで済んだことには感謝をしている。
バンドの名前は音川ナントカ ( ごめんなさい、忘れた! ) とシルバートーンズ、
だったと思う。
メンバーの中にはお昼はNHKをはじめ、色んな放送関係、スタジオの仕事を
熟してそんで夜はここで演奏、とそんな人が何人もいたと記憶をしている。
吉本新喜劇の舞台が毎週テレビで放送されていた時、番組のオープニングを
飾っていたクラリネットは確かここのリーダーだった。
僕を紹介してくれたのはここのセカンドテナー、つまりコンマス (コンサートマスター )、
こかじーんはへっぽこ4番テナーです。
4番テナーっていうのは下の方の音で難しいハーモニーばっかり吹くの。
早くメロディーが吹きたいなあ、とそんな日々だったかな。

Aクラスのバンドなのでしょっちゅうほかのバンドの連中が遊びに来ては
客席の端の方で聞いていたり、中には楽器を提げてきて遊ばせてくれ、
と言って一緒に演奏して帰る人もいた。
テナーサックスの人間が遊びに来るとこかじーんは客席でこのバンドの演奏を
聞いていたりするんだけど。
初めて行った時みたいにね。

トランペットの、忘れもしない木田さんっていう人、
フォルテッシモはとてつもなくデカいんだけど、
ピアニッシモになると、ようく耳を澄ましていないと聞こえないくらいの音で吹くんだ。
でね、客席で聞いてても同じなの。
かすかに。
十何人の中にあっても囁くような音がスッと聞こえてくるんだ。
何の気なしに、ステージのいちばん前の反対側で聞いてみたことがあるんだけど、
バンドスタンドからは100メートルとは言わないけれど、
離れているんだよ、
同じなんだ、どこで聞いても。
今になってみて、その凄さ、恐ろしさに身がすくむ。
因みに、マイクを使っていたのはピアノだけ。

小梶、頑張りや!と、リーダーはいつもニコニコ、
目の奥はギラリと光ってましたけど。
相変わらず、
吹いとるんか!足出すんやったら吹くな!そこはもっと大きな音で吹かんかい!
楽しい。

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2010.07.30

プロって、間違えないのよね、当たり前なんだけど。

実をいうと、大学の定期演奏会の前に楽器を買ったのです。
それまでは高校の時にアルバイトして手に入れたテナーサックス、
イタリア製のグラッシーっていうメーカーのものだったんだけれども、
キャバレーやらナイトクラブで数か月やったらセルマーのマークⅥが買えた。
まあ、先生の顔で超格安でね。
先輩なんかは、こいつろくに練習に顔も出さないで ( 出てました! )
ふっと見たらセルマーだぜって、
参っちゃうよねえ。

ともあれ、京都会館のセンターマイクでピンスポットを浴びてソロを吹いて
それからはもう大学には行かなくなってしまった。
でも、その後この立命館大学の軽音楽部からは優秀な人材がたくさん輩出されている。
青柳君とか、今は関西で頑張っている宮君とか。

初めて僕にオーケストラを聞かせてくれたオヤジの口利きで
そのバンドに雇ってもらうことになった。
道頓堀にあったメトロポリタンって言うお店。
譜面台の上には山のような楽譜。
バンドテーマはレッド・セイルズ・インザ・サンセットだったような記憶が。
幕が開くと17人が乗ったバンドスタンドが3メートルほど前に出るんだ。
ガクッっていきなりひっくり返りそうになってしまって、まずは
皆に大笑いされて。
でも、その当時の僕なんて初見での演奏力なんかほぼゼロ、
そこらで売ってるような簡単なメロディーくらいはもちろん読めるようになってるけれど
ビッグバンドの譜面はね、難しいんだよ、
でも雇ってもらえたの、
顔でね、
そんなもんだ。
しっかり吹けよっ!
聞こえんやろ!
ちょろちょろ間違うんなら吹くな!
間違える時はな、堂々と間違えるんや!
とにかく体育館みたいなどデカいキャバレーだから
少々吹いたくらいじゃあ一番向こうの席にまで絶対に聞こえない。
ボッヒャア~~~!
辞めるか?
どやっちゅうねん!
センターマイクでのスター気分なんか何処へやら、
毎日お昼から出て行って明けても暮れても練習ばーっか。
このバンドでは一日4回のステージをこなすんだけど、
途中の二回はダンシングチームのショーがあったのよね、
10数人のチームだったかなあ、
それが45分くらい吹きっぱなし、それを二回、
半月ごとでメニューは変わってたと思う、
だから、逆に言うと譜面を読む力はどんどんと付いていくわけ、
そりゃあそうだろう、さっき間違えて、今度また間違えて、次の日もまた間違えてだったら
オヤジたちは容赦なしです、
ステージの最中だろうがなんだろうが、
ボケッ!カスッ!
今の子たちには信じられない世界だろうね。
半月ごとにやっぱりリハーサルはある。
ダンスのチームとの最終の調整とかもあるものね。
その時点から半月そのメニューが終了するまで、
オヤジたち、一音たりとも間違えたりする人はいなかったのです。
鍛えられたね。

アレンジをしていたのは後々いろんな仕事を一緒にすることになった
西口君の親父だった、とはもちろん後になってわかるんだけどね。


2010.07.29

世界に1本しかないアルトサックス。

この子は1980年ごろの生まれです。
車上荒らしで楽器すべてを無くした時に買ったものです。
ヤナギサワの渾身の一作って言うんでしょうか、
エリモナシリーズのシルバープレートです。
でもその時はまあこれでもいいや、って言うのが正直なところだったんですが。
その10年くらいあと、とある縁でお会いすることになったヤナギサワ管楽器の鈴木課長に、
ここをこうして欲しい、これをあの新しいパーツに付け替えれないか、
このキーはこの位置にあった方が良いんじゃないですか、とか
およそ考えられる限りの注文を出しては実現してもらって、
これまでにかかったお金は・・・
鈴木課長は、言わないでください、そんなお金では済んでません!
でしょうね、ありがたいことです。
あと、ネックの部分は純銀にゴールドプレートされたものに付け替えられて、
現在に至っています。
マウスピースはデイブガーデラのスタジオモデル、
この子もそろそろ成人を迎えるのかな、今買えば20万は下らないでしょうね、
欲しいヤツは沢山いるかも。
ここんところ、ちょっとぞんざいな扱いをされていたのが可愛そうなので、
再度磨いてやろうと思います。
このサックスを手にした者たちはみんな驚きの表情を見せます。
あまりにも手の中にすっぽりと収まってしまうのです。
息を吹き込んでいくときの抵抗感は完璧に僕の体に合わせられています。
ちょっと駄々っ子な部分もあったり、
でもこれはわざとそうしてもらっているのです。

もう一仕事してもらおうと思っています。
でも、きっと僕よりは長生きするとは思いますが。

エリモナシリーズ



2010.07.28

ご報告とお詫び。

先日来、色々な方とお会いし、お話を重ねてきました。
その中で、シュガーボウル愛好会会長とも話したのですが、
リーダーとしては、事実は事実として発表されるのが良いと思います、との
ご意見もありました。

もろもろの経過もふまえました上での発表です。

これまで、たくさんの方々に応援をいただきながら音楽活動を続けてまいりました
シュガーボウルですが、
諸般の事情により音楽活動を終了いたすこととなりました。
これまでの皆さまの温かいご支援に深く感謝をいたし、
今後は各人がさらなる飛躍を目指してそれぞれの活動を続けていくことを
お約束をし、
ここにお礼の気持ちを述べさせていただきます。
ありがとうございました。

なお、今後のことに関しましては何かあり次第、皆様にご報告をさせていただきます。
宜しくご理解をいただけますようお願いを申し上げます。


平成22年7月26日
小梶 博司



2010.07.27

学生会館が僕の教室。

あの大学ってさ、真っ赤なの。
ホントに!
なんか違うんだよなぁ、って思っても後のまつり。
民青と核マルとかがしょっちゅうぶつかり合ってるし、
そんなんで正門は機動隊がバリケードしてて入れないし。
教授も好きになれなかったしで、授業もそうなるとあんまり出るのがイヤんなっちゃうし。

入学して直ぐに軽音楽部に入ってたんで、ほとんどは裏から学生会館に行って
プースカプースカ。
例のレッスンに来ていたプロに誘われて大阪ミナミのキャバレーで夜は
プースカプースカ。
毎日、京都荒神口と大阪ミナミでサックス三昧な日々なのです。

ま、ちょっとは吹けるっていうんで学校のビックバンドと
スモールコンボのレギュラーになってしまってたんでその練習もあったり、
充実していた、と言えば確かにね。

秋には定期演奏会があるんです。
場所は京都会館大ホール。
そうか、ビックバンドではバリトンサックスだったんだ、
でも、スモールコンボの方ではテナーサックスで
当時人気のあったジャズクルセダースなんかのコピーとかが
レパートリーだったかな、
僕は一回生、トロンボーンの三回生の人がリーダーで。
この人は上手くってねえ、色々と教わった。
一流と言われていた京都ベラミのオーケストラにも籍を置いてたんじゃあ
なかったかな。
2年ほど前に大阪のじゃず家さんってところにライブに行ったときに
久々に偶然お会いをしたけれど。
直立不動だったかも。
ともあれ初舞台は、って言ってもキャバレーなんかでは散々吹いてはいたけれど、
大きなホールでのセンターマイクでのソロはさすがに
痺れたなあ。
緊張した。
上がるっていうことはなかったけれどもね。

これでまた自信が付いてしまってもう、
プロになるぞ、ってね。

世の中、そんなに甘いものじゃあないのにね。


2010.07.26

たった1年間の青春。 ( 追記もあり。 )

進学の為に予備校には通ったけれど、
同時にサックスのレッスンにも通い始めていた。
週に一度だけだったかな?
でもここでいろんなヤツに会った。
プロのバンドマンが来ていたのにはびっくりしたな。

だから色んな情報やらテクニック的なことはどんどんといやでも入ってくる。
大阪心斎橋道頓堀の入り口に「おぐら」っていう喫茶店があってね、
そこがみんなのたまり場。
オヤジがジャズが好きだったみたいで新譜をどんどん聞かせてくれるんだ。
これはありがたいよね。

そんな日々だから当然昼も夜ももうなくなってしまうわけ、
時間がね、
どうやったって足りないんだよね。
でも、もうブルーズのソロは吹けるようになっていた、
気がしていた、
かな?
割と日本人独特の器用さも持ち合わせていたし、そんなわけで生意気そのもの。

なんだけど、
この時にとある人に出会うんだ。
借金を返したいためのお金以外なら、何時でもって、そんな人。
飯を食って酒を飲んで三日三晩お付き合いをした。
後にも先にも、この時だけだけど。
もう立てなくなるまで。
僕が18、彼女が50、だ。

僕に人生のある部分を話してもくれたし、
相当に打ち砕いてももらえたかな、
でも勇気ももらえたかな。
以来、お付き合いは・・・。

おかげでまたよく勉強するようになったなあ。

苦にならないんだよね、読んだり、聞いたり、繰り返したりっていうその作業がね。

今はね、
この前大阪に行ったときに、ギタリストの池田くんとも話したんだけど、
「 やっと頭でイメージしていくっていうことが出来るようになってきたなあ。 」
そんな感じ。
当時はね、唇が血だらけになってることにも気が付かないほど練習はしたなあ・・・


2010.07.25

大学なんて行きたくもなかったんだけど。

やっぱりね、オヤジの顔も立ててやらんとなんて思ったかどうか、
大学の試験は受けたのです。
本当は、行ってもつまらんって言ったけど母親が泣くもんだから。

関関同立と滑り止めってことであと二校ほど。
ろくに勉強もしていないんだから当たり前だよな、見事に全部落ちた。

不思議なもんでそうなると意地っ張りの性分が。
予備校に行かせろ、なんて言い出して。
一年後には国立も含めて受験したんだけど、
まあ及ばずってことかな、最終的には立命館に入学することに。

その1年間は多分僕の人生で最高に楽しく最低にどーしようもない1年間だったかも。

予備校にはちゃんと行ってたのよ、だから成績なんかは一気に回復。
でも、授業が終わってからは夜の街をほっつき歩くようになります。
いきなりの不良。ご両親は知らなかったと思うけれど。
今はもうなくなったけれどジャズ喫茶とかでね、たくさんのジャズを聞かせてもらっていたのね、
少しはお酒も飲み始めてたけれど。

ある日、サックスを下げて歩いていくおじさんの後ろにくっついてキャバレーの裏口から
潜り込ませてもらって生のオーケストラを聞かせてもらうことに。
ショーが終わったらまたそのおじさんにくっついてバーに行ったり。

それからは、
大学に行くための勉強と、
聞いたこともない音楽の洪水と、
荒んだショーの世界の裏側とで毎日が刺激に満ちていたかも知れない。

でも、予備校生の分際で、しかもオヤジは貧乏教師ときている、
どこに毎日ブラブラするお金があったのかねえ。
まあ、その話は次回にということにするかな。


2010.07.24

ブラスバンド部にめでたく入部したんだけど、

ブラスバンド部にめでたく入部したんだけど、トランペットって簡単には音が出ないのよね。
パパ~ンなんてとんでもない。
ブウ~ブッブッって鳴るまでに20分くらいかかるの。
ずいぶん後になってから分かるんだけど、僕の上唇は先っぽがVの字みたいにとがってるから、
基本的にラッパはダメなのよね。

で、先輩が見るに見かねて、棚にあったアルトサックスを持ってきて、
こういう風に持ってこういう風に口に入れて吹いてみろ、というわけでプ~~~。
サックスプレイヤーの小梶くんが誕生ですわ。

「 文化祭に出るんだぞ、お前も。 」
僕も?
当たり前だろ、これだけしかいないんだから。
枯れ木も山のなんとかですわ。
一か月ほどでその辺に転がっていた教則本を見て
ドレミファソ~、ソファミレド~くらいは出来るようになって、
文化祭で演奏したのはベートーベンの5番、運命。

さあ、そーなると調子に乗るのよね。
成績はもうガタガタ、
担任に呼び出されて
「 お前これじゃあ大学は行けんぞ、お父さんに顔向けができんじゃないか 」 って。

親父とはお友達、つまり僕の親父も学校の先生だったの。
でも、そんなこと知ったこっちゃぁないのです。
自分でアルバイトしてテナーサックスを買って気分だけは一端のサックス奏者気取りなのです。

つづく。


2010.07.23

ギターが似合わないヤツ。

中学生、高校生の頃にはみんなはギターを手にすることが多いんだろうな。
こかじーんは高校の音楽の授業で、クラシックギターを勉強した時からもう、完全なギターコンプレックス!
なかにはあの名曲を得意気に弾いてくれるやつもいるわけで。
完全に背を向けてしまった。
音楽なんてつまんない、そんな感じだわさ。
でも、10代の頃のそんなコンプレックスなんて、すぐに何処かへ飛んで行ってしまうわけで、
授業が終わったら毎日卓球の練習に明け暮れていたわけ。

とある日、レコードショップの前を通りかかって、何だか、かっこいいトランペットプレイヤーの
シルエットを目にするんだな。
すぐさま、ブラスバンド部に足を向けてしまった。
( 卓球部には一応は休部届けということで。 )
しょぼくれたブラスバンド部でねえ、
確か、10人くらいしかいなかったんじゃあないかな。
で、「 トランペットが吹きたい! 」と。
しかし、これが音が出ない。ギターがどうのなんてもんじゃない・・・

同じ学校の先輩に 『 べーやん 』 とか 『 たかじん 』 がいるなんて、もちろん知る由もない、
そんな時代の話。
続きを読んでみたい?
連載してみるかな。



これは、シュガーボウルのメールマガジンに書き始めたものなんだけど、
そっちが完全に私物化されてしまっている、
もちろんシュガーボウルはもうなくすことになるので
シュガーボウルのメールマガジンでもなんでもないんだけど、
これは以前から書き始めようと思っていたことなので、
気に入ったら続けて読んでくれるとうれしい。


2010.07.23

さあ、行くぜ!

ブログを再開するからね。

随分と待たせてしまったもんだよな。